広島原爆、白血病


1999年8月9日

被爆二世

 本日は長崎原爆の日、8月6日は広島原爆の日だ。僕の父は広島に原爆が投下された翌日に1日だけ広島にいたため、原爆手帳を持っていた。僕は被爆二世なので、医学生になった時に、加藤周一著の羊の歌を読んだことや血液学の講義などを聞いて、僕自身将来白血病になるのではないかという危惧を持っていた。当時、名大第一内科の山田一正先生が熱心に実験的白血病の講義をされていて、人の白血病は一部ウイルスが原因のものがあるに違いないと強調されていた。残念ながら、彼はそのウイルスを発見できなかったが、HTLV-1が成人型T細胞白血病の原因ウイルスとして発見された。

 僕の恩師の祖父江逸郎先生は数年前に神経内科OB会で興味あることを話されていた。彼は戦艦大和の軍医であったが、当時の上層部の適切な判断(日本の将来を担う超優秀な人材であるためであろう。海軍兵学校を首席で卒業)により、最後の戦いの時には途中で下船させられたらしい。広島に新型爆弾(原爆)が落とされたころ、先生は呉の海軍兵学校の教官だった。新型爆弾が落ちたということで、彼を含む医師団が1週間後に広島の被害状況を視察に向かった。惨状はなはなだしいものであった。病院のレントゲンフィルムが感光していたが、鉛で遮蔽していたフィルムは感光していなかったので、原爆ではないかと判断したが、ずっと極秘事項だったそうだ。

 また、戦後、南方の諸島からの帰還兵を召還させるために、彼1人が軍医で乗船した。帰りの船にはアメリカの医師も乗り込んでいた。帰還の途中にその軍医から、いろいろ教えてもらったが、敵国の軍医というような関係ではなく、医療を実践する同じ使命を持つものとして、対等に処遇してくれたそうだ。また、すでに乾燥血漿を保有していて、病気の日本兵士の治療に使用を許可してくれた。こんな人間的にも素晴らしい軍医と医療を持つアメリカと戦争したとは無謀だったと悟られたそうだ。

 なお、彼が呉の海軍兵学校の教官だった時の学生の一人が、元鹿児島大学学長井形昭弘先生だった。井形先生は八高-東大の先生で、どうも人に対して怒ったことがない先生のようだ。彼は脳死臨調の委員だったが、21世紀の医療を考える会の座長の要職をされている。僕が福井に来る前に短期間在籍していた国療中部病院の院長だった。祖父江-井形-そして、現在の院長は前信州大学教授で現日本神経学会理事長の柳沢信夫先生だ。(現在は国立長寿医療センターに衣替えした)

http://www.kanazawa-med.ac.jp/gakuho103/2-7p.htm (祖父江先生の講演の要約)

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