砒素カレー事件、砒素中毒


       2005年6月29日 高裁でも林真須美被告に死刑判決

 無罪を主張している、残忍な林真須美被告の死刑判決は当然だ。ところで、以前、“毒入りカレー殺人犯人は他にもいる”という論文を文藝春秋に発表した、当時中学3年生であった三好万季さんのHPの掲示板で、この事件に関して僕は論争したことがあった。そのときに、砒素中毒関連の文献をレビューしたことがあった。

1999年6月11日医局モーニングカンファランス:和歌山砒素カレー事件

砒素
無機・有機のかたちで自然界に広く存在。有機の砒素:魚介類や海藻類に多く含まれる。
無機の砒素:五価と三価。三価の砒素は毒性が強い。三価の砒素:16世紀ごろから犯罪に頻繁に使用され有名。
現在でも、自殺、事故、犯罪例が散発的に発生。
三価の砒素:三酸化砒素(無水亜砒酸)と亜砒酸ナトリウムがある。無味・無臭の白色の粉末状結晶。前者は水に溶けやすいが、後者は水に溶けやすい。両者とも消化管から容易に吸収。前者の症状発現は数時間後、後者は10分以内に発現。
推定致死量:100~300mg

有機砒素:
原虫性伝染病の治療剤
有機砒素:サルバルサン(エールリッヒ、梅毒治療、-As=As-型)
ヒトにおける砒素の正常値
1日平均摂取量 910μg
血中レベル 0~2μg/L
尿中排泄量 15μg/L(3~260、海産物摂取量に左右される)

砒素中毒

 最も典型的な病歴::急性の胃腸症状(腹痛、吐き気、嘔吐と下痢)、摂取後数分から数時間で発生、数日後に手足の焼けるような、有痛性の異常感覚と進行性の遠位部の筋脱力、ニューロパチー症状が10日から3週の間に出現し、5週までも進行しうる。

 重症例:

 全身的な血管性虚脱―二次的に尿排出が減少
中枢神経症状―急性中毒の場合は急激に進展(特に有機砒素化合物)、傾眠, 意識不鮮明,     昏迷へと進行,パラノイア的妄想や幻覚を伴う器質性精神病がせん妄に進展する場合がより一般的。大量摂取:これらの徴候は急速に進展し、摂取後24時間以内に死亡
(From Peripheral Neuropathy, p. 1157- 1560 , edited by Dyck PJ )

砒素中毒と鑑別すべき疾患   

1.ギラン・バレー症候群(GBS)との鑑別診断
急性に消化器症状を呈する場合は鑑別困難なことがある。集団発生の場合は食中毒か、毒物かが一番考えやすい。下記の論文にあるように誤診されることもある。
Feit H et al. Sources of error in the diagnosis of Guillain-Barre syndrome. Muscle Nerve 5: 111-117, 1982
Donofrio PD et al. Acute arsenic intoxication presenting as Guillain-Barre-like syndrome. Muscle Nerve 10: 114-120, 1987
Goddard MJ et al. Chronic arsenic poisoning masquerading as Landry- Guillain-Barre syndrome. Electromyogr Clin Neurophysiol 32: 419-423, 1992

2. 慢性炎症性脱髄性多発ニューロパチー(CIDP)
砒素などの中毒性ニューロパチーと鑑別すべきものとして、 CIDPがある。通常、砒素中毒では軸索変性が主病変、末梢神経伝導検査で伝導速度を遅延はなく、活動電位の振幅の低下を認める。

         CIDPの新しい診断基準

Ad Hoc Subcommittee of the American Academy of Neurology AIDS Task Force: Research criteria for diagnosis of chronic inflammatory demyelinating polyneuropathy (CIDP). Neurology 41: 617-618, 1991.
濱口勝彦、細川武:CIDP(chronic inflammatory demyelinating polyneuropathy) 65-69、モダンコンセプト神経内科5、医学書院、1995

当然ながら、CIDPと鑑別すべき疾患の中に砒素のような重金属中毒があるので、下記の検査が必要になることがある。
検査:たとえば、ある臨床の状況では、フィタン酸・長鎖脂肪酸・ポルフィリン・尿中重金属・αおよびβリポ蛋白・糖負荷試験・中枢神経系の画像検査・リンパ節生検あるいは骨髄穿刺を実施する。

参考図書:「脳と神経、気になる謎、神経内科医の目」(小長谷正明著:講談社、1997) ―アガサ・クリスティの毒物学―薬が毒薬に変わるとき―
長編が58冊、短編が130編、総ページ2万5千ページ。使用頻度が多いのは青酸カリの十回、ストリキニーネ九回、ヒ素八回、モルヒネ六回、ジギタリスとバルビタールが五回。
「この毒物(ヒ素)はよく使われもしたが、すぐにバレたらしく、愚か者の毒薬とも言うそうだ。牛乳にいれれば、タンパク変性で凝固、蛋白質でできている器にヒ素入りの液体を注げば、変色。毒殺防止用の杯にと、サイの角がもてはやされた」(引用)

              ジメルカプロール

 歴史:第一時世界大戦、ジフェニルシアンアルシンなどが使用された。日本も1938年、中国の武漢攻略戦で大量使用した。砒素性毒ガスであるルイサイトlewisiteに対する解毒剤が研究されたが、砒素剤はSH基を有する分子と結合するという知見に基づき、ジメルカプロールが発見された。

 -As=O型 (3価)で、一番毒性が高い。 British anti-Lewisite(BAL)

作用機序:SH基と金属間のキレート結合

砒素中毒の症例報告

1) Kamijo Y et al. Survival after massive arsenic poisoning self-treated by high fluid intake. Toxicol Clin Toxicol 1998; 36: 27-9

  23歳、薬剤師:1040mgの砒素化合物(arsenic trioxide) 服用、7時間の無症状後に嘔吐と下痢が頻発した。5時間で5Lの水を飲んだが、血漿砒素濃度が入院時(摂取20時間後)に致死的だったが、中毒症状は改善した。血中砒素濃度41.5μg/dl、尿中砒素濃度5140μg/dl。 文献上7例の検討:経口摂取量、血液、尿砒素レベルなど。集中治療にもかかわらず、患者の状態が重症のため、7例中5例が死亡した。数例は血管拡張と胃腸管への大量の体液の漏出による循環血液量の低下の両者によるショックにより死亡した。23歳の患者が助かったのは十分な量の水を摂取したためと推定された。

2) Jolliffe DM et al. Massive acute arsenic poisoning. Anaesthesia 1991 46: 288-90

 A 28-year-old male ingested 75 g of arsenic trioxide in a successful suicide attempt. The presentation, management and postmortem findings are presented and discussed.
(血中砒素濃度が230μg/dl)

3) Gerhardsson L et al. Fatal arsenic poisoning–a case report. Scand J Work Environ Health 1988 14: 130-3

 A worker was buried under arsenic trioxide in an industrial accident. He was almost immediately released but had inhaled and swallowed substantial amounts of arsenic dust. In spite of intensive treatment, circulatory collapse could not be prevented, and he died 6 h after the exposure. The treatment, autopsy findings, and arsenic concentrations in tissues and body fluids are described and discussed.

 どれだけの砒素を摂取したかは不明だったが、血液砒素濃度は340μg/dl、尿中砒素190μg/dlだった。砒素中毒ということが判明していて、集中治療が行われたにもかかわらず、循環虚脱がおこり6時間後に死亡した。適切な治療にかかわらず、患者は死亡した。

4)

 Fesmire FM et al. Survival following massive arsenic ingestion. Am J Emerg Med 1988; 6 : 602-6
A case of a 30-year-old man who ingested a massive quantity of arsenic (approximately 2,150mg) in an apparent suicide attempt is presented. Aggressive initial therapy, including fluid resuscitation, chelation therapy, and hemodialysis, resulted in the patient’s survival. The successful management of arsenic intoxication requires both prompt recognition and the initiation of specific and aggressive therapeutic modalities.

 約2gの摂取だったが、精力的の初期治療―体液蘇生(大量輸液と推定)、キレート剤(BAL)、血液透析などにより患者は生存した。

5)

Levin-Scherz JK et al. Acute arsenic ingestion. Ann Emerg Med 1987; 16:702-4

 A 21-year-old man presented in shock after ingesting 2 g of arsenic trioxide. He died within 37 hours despite intensive treatment that included intramuscular dimercaprol and hemodialysis.. Hemodynamic and laboratory data are presented illustrating the multisystem toxicities of inorganic arsenic. Hemodialysis, previously described as an effective therapeutic adjunct, was shown to be ineffective.

 血中砒素濃度は19μg/dlと上記の報告の中では一番低かったが、患者は適切な治療をうけたにもかかわらず死亡した。

6) Sanz P et al. Rhabdomyolysis in fatal arsenic trioxide poisoning. AMA 1989; 262 :3271
20gの砒素を摂取、血中濃度は185μg/dlで、患者は死亡した。
7) Shono Y et al: Effect of direct hemoperfusion in treatment of acute arsenic intoxication.
Jpn J Acute Med 1990: 14: 1299-1301.

8gの砒素を摂取、血中濃度47μg/dlだったが、患者は死亡した。

 8) 和歌山砒素中毒事件:

「聖マリアンナ医大の山内博助教授は、正常値の最高700倍もの砒素化合物が患者の尿から検出されたことを発表した」

「4名は、血液中、肝臓及び腎臓から、正常人の平均値の数十倍ないし百倍以上もの高濃度のヒ素が、各胃内容物からも高濃度のヒ素が検出、ヒ素中毒の特徴的な所見である胃粘膜の壊死、諸臓器のうっ血もあり」(林容疑者が混入したヒ素の量は少なくとも100グラム以上)―正常値を2μg/Lとすると、40~200μg/Lであり、致死量だった。
上記の論文から推測された結論および疑問点

1)いかに適切な治療が早期に行われたとしても、血中濃度が19μg/dl以上の上記の患者のうち、7人中2人が生存し、5人が死亡した。

2)嘔吐により毒物の量は減じられているにもかかわらず、また、胃洗浄も実施されているにもかかわらず患者が死亡している。循環血液量が減少することによる、いわゆるhypovolemic shockの治療が適切に実施され手いるかが問題だが、当然施行されているであろう。

3)個々の患者の血液、尿の砒素濃度と予後との関連が重要なポイントである。

4)和歌山砒素カレー事件で亡くなった患者はあまりにも大量の砒素を摂取したために、胃洗浄しても助からなかったかもしれない。

 5)砒素の吸収速度:砒素を摂取後、何分以内に体内に入るか。蛋白にすぐに結合した後の代謝経路は? 摂取後、何時間以内に胃洗浄を実施すれば、臨床的に有効か?

 PS:遺族が日赤を訴えたが、第一審では一部、病院側の過失を認めた判決だった。僕は納得できなかったが、高裁での判決はどうなったのだろうかと思っていた。インターネット検索で調べたら、今年の初めに病院側が勝訴したことが、ある医師の日記に書かれていた。そのことは、新聞には取り上げられていなかったと思う。第一審の判決は間違いで、高裁の判決は妥当であったと思う。以下は、引用文である。

読売新聞の記事より:

【和歌山市の毒物カレー事件で、急性ヒ素中毒の初期治療に不備があったなどとして、鳥居幸さん(当時16歳)の遺族が保健所を設置する市と日赤和歌山医療センターを開設する日本赤十字社(東京都)に慰謝料など計5000万円を、元自治会長の谷中孝寿さん(同64歳)の遺族が市に1000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2日、和歌山地裁であった。礒尾正裁判長は、鳥居さん側の主張を一部認め、日赤病院側に200万円の支払いを命じた。市への請求は退けた。この事件の初期治療で、医療機関側の過失を認めたのは初めて。

 幸さんの母、百合江さん(53)ら両親と孝寿さんの妻、千鶴子さん(66)が2000年9月に提訴。市保健所が事件発生直後「99%食中毒」と発表するなど、正確な情報を提供する役割を果たさず、日赤病院も血圧急低下などに毒物中毒の疑問を抱かず、適切な治療を怠ったなどと主張。法廷での証言で、遺族の心情も訴えた。

 市は「食中毒以外の原因と認める合理的情報はなかった」と反論。日赤側も「当時の救急医療水準に即して適切に治療した」と全面的に争っていた。

 判決は、日赤病院の治療について、「脈拍や血圧管理などに過失があったというべきだ。ただし、過失と幸さんの死亡との因果関係は認められない」とし、一部過失を認めた。

 判決を傍聴した百合江さんは「どんな治療だったのか明らかにしたいと提訴した。適切だったら生きていたかもしれないと思うと、怒りがこみ上げる。市の対応も含め、2度とこのような苦しみを抱く人がないように願う」と話した。】

2005 1.19 (あるドクターの日記から引用)

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t2nagano/diary200501.htm

“ほとんどの新聞に取り上げられていないが、和歌山の毒入りカレー事件で、一審で敗訴していた日赤和歌山医療センターが2審では勝訴。脈拍や血圧管理に過失があったといわれても、急性砒素中毒ではどうしようもないし、ましてや市が食中毒と発表していたのだから薬物中毒を疑うことは難しかったと思うので、この判断は個人的には妥当と思う。しかし最近の裁判、1審の判断が2審で覆り過ぎではありませんか?”

http://mytown.asahi.com/wakayama/kikaku_itiran.asp

 

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