裁判員制度、陪審員制度

裁判員制度について  20004/05/31

 大新聞の世論調査で50%が賛成するという結果が出ているため、政府および全ての野党は、この裁判員制度を推進する口実の一つにしていると思われる。しかし、最近の讀賣新聞の調査だと、賛成者の51%が参加したくないと表明しているが、彼らは非常に無責任であり犯罪的だ。彼らが、この制度のことを吟味して、反対に回れば、70%弱の人がこの制度に反対していることになる。そうなったら、この裁判員制度の成立を阻止できたはずだ。

問題はマスコミが賛成キャンペーンをやっていて、この制度の根本的欠陥―憲法違反、新しい強制的な義務を国民に押し付けるなど、を明らかにしていないことである。

(資料:讀賣新聞より引用:”裁判員制度の導入に「賛成」する人は「どちらかといえば」を含め50%で、「反対」40%を上回った。昨年7月の同調査(賛成50%、反対41%)とほぼ同じ結果だった。一方、裁判員として参加したいかを聞いたところ、「参加したくない」人が69%にのぼり、「参加したい」27%を大きく上回った。制度導入に「賛成」の人でも、「参加したくない」は51%を占めている。”)

また、弁護士の四宮啓教授は日弁連の司法改革推進者の立場から、讀賣新聞の論点に下記のような意見を述べていた。彼がアメリカの地方裁判所を訪れ、次のようなことを知ったと言う。

“陪審員が最も感謝する二つのことがあると知った。一つは、裁判所に呼ばれた直後に受けるオリエンテーションである。裁判官の話やビデオで、自分たちの役割を分かりやすく解説される。出頭した候補者たちはここで、自分たちが社会から必要とされていることを知る。二つ目は、評決に達した後、社会に貢献できたという満足感だ。つまり、国民一人ひとりが社会から必要とされていることを自覚し、その任務を満足感を持って果たせることが、この制度が国民から支持される核心なのである。”

僕はこれを読んで、次のことを思い出した。以前、この掲示板に次のように書いた。

“朝日新聞の私の視点で裁判員制度がとりあげられていた。5人が意見を述べていたが、裁判員制度の問題点はあるが、原則的に賛成の意見ばかりだった。また、ジョンソン教授が米国の陪審制の実情について、次のように述べていた。

“召喚状が来ても 裁判所に出頭しない人が多いし、ちょっとした理由で義務を免除されるのが一般的だ。結局、ほかにすることがない人や社会的地位の低い人が陪審席に座る。そんなことでいいのだろうか。”僕が危惧していたことを、この教授は後半部分ではっきりと指摘していた。“

この二つの論点から、次のようなことが類推される。すなわち、社会的に貢献したことがない、または少ない人が裁判員になり、社会から必要とされる任務を果たすと、自己満足を得ると言うのである。

この論点には次のような問題点が浮かび上がる。このような単純な論理を持っている人はいるだろうか?また、普通の社会人は社会に十分貢献しているはずであり、裁判員制度に参加しなくても、仕事に満足しているのではないか?少なくとも、僕自身は自分の仕事に社会的貢献と満足感を持っている。

また、四宮氏は論文の前半部分で、次のようなことを述べていた。

「裁判員制度では、損なわれた正義を回復する使命をもつ裁判に国民が参加する。私たちが正義を回復し、正義を実現する。その意味で、税金や選挙よりはるかに役割は直接的だ。それは税金と同様、一人ひとりが、責任を負う社会の構成員であり、主人公であることを示している。」

彼の論旨は単純すぎて、我々法律の素人にとっては理解できない。変革すべきは四宮氏の頭脳の中身であり、もう少し、わかりやすく具体例をあげて説明してもらいたい。法律家として、自己満足の意見の展開を行っている。

ところで、先日、NHKで戦前の陪審員制度のことがとりあげられ、陪審員制度のPRに300億円かかったとの話があったが、今回の裁判員制度の推進PR、また人件費、設備投資に要する費用などを考えると、300億円以上の出費がかかるのではないかと、推測される。

最近、四日市市で医師宅が中国人窃盗団に襲われ、妻が殺されてしまった。僕の家には2年前に2回も空き巣に入られてしまった。家の回りに不審車がいないかと、1年間勤務から帰ると、毎晩見回った。このままでは、ノイローゼになり、安全が保てないと思い、ある警備会社にお世話になることになった。国民の大多数が参加したくないと思っている裁判員制度は、僕の予想では、潰れることが明らかであるのに、そのようなことに血税を使わないでほしい。違憲裁判もおこるのも必至であろう。それよりも、国民というより、市民の安全対策にその分だけ、予算を使ってほしい。

名古屋での模擬裁判  04/05/31

NHK名古屋のニュースで先日、試行された裁判員、裁判官による模擬裁判が放映されて

いた。殺人容疑の被告人に対する判決は、5対4で無罪だった。この結果を見て、真実
は有罪であるのに、素人裁判員が参加したために、被告人は無罪となったのではないか
と思った。わずか1票差で、しかも、素人裁判員の参加により、無罪か有罪かが決定されることに、恐ろしさを感じた。 

 どちらにしても、控訴は間違いないが、こんな単純な危険性があることをどうして問題
にしないのであろうか?また、本職の裁判官はすべて有罪、素人裁判員がすべて無罪で
あると判定した時、判決文を作成する裁判官はどんな気持ちを持つのであろうか?

PS:評決は多数決で決まるが、少なくとも裁判員1人、裁判官1人以上の賛成が必要である

とのこと。

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marugametorao について

神経内科専門医 neurologist
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