ポランスキーのマクベス、女子高生殺害、裁判員制度


                     ポランスキーのマクベス、女子高生殺害、裁判員制度

昨日、映画「マクベス」を見た。妖しげな魔女が出てきて、予言をマクベスらに伝えた。その後、予言にそそのかされて、マクベスは王を暗殺してしまった。新たなる予言を教えてもらうために、魔女の集まる場所へマクベスは出かけたが、裸の老女たちが出てきて、グロテスクな儀式をしていた。最後には、マクベスは死を迎えるのだが、その殺され方は、予期していなかったやり方だったので、僕の脳裏に衝撃を与えた。剣で頸部が切断され、頭部と体が別々になり、非常に気持ちが悪かった。また、頭部だけのマクベスの視点から映像が映し出されて、ぞっとした。ギロチン博士のギロチン台での出来事を思い浮かべた。また、女子高生が同級生に殺害された姿(何十回も顔面を出刃包丁で傷つけられたらしい)を想像し、今朝は何度も目覚め、寝つくことができなかった。また、裁判員制度が始まると、このような残虐な証拠写真も素人裁判員が見なければならなくなると思うと、気が重かった。

http://britannia.cool.ne.jp/cinema/title/s-macbeth.html (マクベス)

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22024 (マクベス)

http://www.h7.dion.ne.jp/~eiga-kan/Macbeth(Polanski).htm (マクベス)

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                  ギロチン教授

かなり、以前に東大神経内科名誉教授の豊倉康夫先生のエッセーを読んだことがある。生命の科学12号、P1,1993の要約であるが、1789年、断頭台(ギロチン)を考案したのはパリ大学の解剖学教授のギロチンその人であった。”断頭台の秘密”という1883年のリダランの小説には、ほとんど実名実在の人物が登場する。処刑の宣告を受けた医師を高名な外科医(パリ 大学教授)が牢獄を訪れ、こう言った。

”貴君の首が切り落とされたら、その頭を抱えて耳もとで叫びますよー左の眼を大きく開き、右の眼を続けて三度閉じてみてたまわらんかとな”と、彼はその瞬間、教授を真正面に見つめたまま、はっきりと確かに、その空前絶後の実験を成功させたというのだ。

 豊倉先生は、“これは、本当の話のように思えてならない”と述べている。 “頭と胴体は分離しても、その時は完結した死の瞬間ではない。頭部では聴覚、視覚をはじめとする感覚入力はかならずや大脳に伝達されるであろう。意識、記憶、感情などのしくみも瞬時に廃絶するわけではなかろう。これは病床における昏睡の脳、臨死状態の脳にもあてはまるであろう。”

 僕は患者が亡くなる直前、昏睡状態でも内的意識はあると考えて対処している。家族には、できるだけ、患者に話しかけてやって下さいという。聴覚機能がかなり残存しているかもしれないし、もしかしたら、肉体とは別の存在である魂もありうるので、そうしている。患者が呼びかけに反応するはずがないと思われる意識状態で、眼から涙が流れることがあり、これが出現すれば、私はもう最後の別れが近いと解釈している。いつも冷静に観察しているが、あたることが多い。また、心臓がほとんど止まりかけていても、家族が駆けつけてきて、大きな声で呼びかけると、心臓が一時的だが、もとのように動き始めてくることもある。やはり患者は聞こえているのだと解釈している。 (断頭台の秘密」 Le Secret De L’echafaud)

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ポランスキーのマクベス、女子高生殺害、裁判員制度 への1件のフィードバック

  1. Unknown より:

    数年前のことですが、この「ギロチンで切り落とされた首が、約束通りにウインクした」という話を聞いたことがありした。それが「断頭台の秘密」由来の話であることをここで初めて知りました。そのときの話の前後はよく覚えていませんが、動物と植物の「生命」の議論の中だったように思います。そのときは笑い話と受け取っていましたが、その後、時々、ふっと思い出すことがありました。ありうるか・・どうか・・興味があったからです。私が聞いた話では、処刑前にそういう約束をしていた・・ということですから、首が落ちる瞬間に大脳から眼をぱちぱちとさせる信号を送っていたら、落ちた瞬間にウインクするということもありえるかもしれない・・・と思うこともあります。(ありえないと思うときもありますが・・・)いずれにしても、人間の体はそれぞれの部分の集大成なのですから、一部分だけの動作なら、もし、瞬間的に命令が伝達されていたのなら、その部分が全体の支配から離れても、機能する瞬時があるのかもしれません。でも、首が落ちてしまってから「・・左の目を大きく開き、右の目を3回閉じてみよ・・・」と、初めて語りかけたのなら、これは、やはりあり得ない・・・と思いますが・・・。落ちた首を抱えて話しかけ、話し終わるまでに時間がかかりすぎています。ですから、それからの知覚、刺激の伝道、命令、眼瞼の運動という1連の働きができるとはとても思えないからです。本を読んでいないので、状況がよく分かりませんが、こういう話題を考えていると、人間が解らなくなりますね。本当はどうなのでしょうか。くだらないことを書いて申し訳ありません。

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