朝日新聞の凋落、無節操ぶり


                朝日新聞の凋落、無節操ぶり

大学受験のときには、朝日新聞の社説や天声人語をよく読んでいた。大学時代は朝日ジャーナルをときどき読んでいた。現在は2つの新聞を購読しているが、朝日新聞はネット上で見るだけである。まれに優れた特集もあるが、最近の朝日新聞の論説や天声人語の内容には疑問や憤りを感じるものがある。代表的なものが小沢さんに対する異様なほどのバッシングである。国民の一部はマスゴミの小沢さんへの執拗な攻撃、中傷に対して、目覚め始めている。しかし、まだ少数である。

 下記の二見伸明氏の論評には全面的に同意する。

http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/10/post_29.html

 日本の良識・朝日の暴論「小沢、辞職せよ」の狙い ── むしろ、小沢を自由奔放に働かすべきだ

 案の定と言うべきか、想定内と言うべきか、「離党も議員辞職もしない」と言明した小沢一郎に対するマスコミのバッシングは喧しい。極め付きは朝日新聞である。10月5日の社説で「自ら議員辞職の決断を」と主張し、その後、審査会の問題点が指摘されるようなっても、恥ずかしげもなく、8日の社説で「離党勧告か除名する。最低限、それが必要だ」とのたもうた。何が何でも、小沢の政治生命を断ち、「小沢改革」をぶち壊したいのか、それとも、「ジャーナリストこそが政治・社会を善導できる」と思い上がっているのか。いずれにせよ、とんでもないことである。

 マスコミは無責任である。朝日は、「厚労省・村木局長事件」で、当初は大阪地検をヨイショし、彼女の人格を全否定した。ところが、地検特捜部に「証拠改ざん」の疑いが出てくると、一転して「昨日のネタ供給元」を攻撃し始めた。私は、検察批判をするな、と言っているのではない。むしろ、徹底的に、批判・攻撃すべきだと思っている。だからこそ、朝日は、検察批判と同時に、率先して、村木という有為な人材を地獄の淵まで追い詰めた重大な過ちを反省し、平謝りに謝るべきであった。

 朝日は「松本サリン事件」でも同じ過ちを犯している。「農薬からサリンは出来ない」という専門家の意見を無視し、警察のたれ流す情報をもとに、河野義行さんを犯人扱いし続けた。真犯人が分かっても、野中広務国家公安委員長が河野さんに直接謝罪したのとは大違いで、河野さんに、直接、謝罪をしようともしなかった。まさに、「報道被害事件」「冤罪事件」の張本人である。

 マスコミ、なかんずく、朝日の上層部は「強制起訴」の本当の狙いを知っている。「裁判で白黒をつける」ことが目的ではない。彼らは「有罪・無罪」の判決には、ほとんど関心はない。ひたすら、小沢に刑事被告人の汚名を被せて、政治生命を断つことだけである。「市民」を装った「人民裁判」である。

 「言論の自由」は民主社会の根幹である。そして、「自由」に「責任」が伴うことは、法理以前の鉄則だ。そのことを、まったく理解出来ない朝日は「ごろつき新聞」に過ぎず、存在する意義はない。 

 朝日の「小沢辞職せよ」論は、4日の第五検察審査会の議決を金科玉条としている。この議決が、透明、公平、公正で理路整然としたものであれば、「小沢辞職せよ」にはそれなりの迫力と正当性が出てくる。しかし、実体は疑惑に包まれたものだ。石川知裕衆議院議員を取り調べた検事は、彼に、「一般論だが、検察には出来なくても、検察審査会が強制起訴すれば、有罪になる可能性もある」と脅している。要するに「検察審査会を使えば、何でもできる」ということだ。その意味で、検察審査会は、設立の趣旨から全く外れて、「小沢抹殺」に利用されたのだ。

 私は、最高裁が検察審査会を管轄していると聞いたので、5日、最高裁事務局に「強制起訴議決」について問い合わせたが、「職員は事務局から派遣しているが、審査は非公開なので、補助員の弁護士、会議の内容などは、当事務局では分からない」と言う。「それでは、第五検審に問い合わせる」と言ったところ、「窓口は私どもなので、なんでもおっしゃって下さい」というのだが、埒が明かないので、翌6日、第五検察審査会に電話した。やり取りの概要は以下の通りである。

Q「9月7日に補助員に委嘱された吉田繁実弁護士は、どこの弁護士会に所属するのか」

A「東京第二弁護士会です。私たちは、審査に関することは非公開なので、何も言えない。吉田さんが補助員に委嘱されたことは、8日の朝日の記事で知った」

Q「吉田さんが補助員に委嘱されたことは知らなかったのか」

A「ノーコメントです。朝日の記事では7日というので、朝日の情報を申し上げた」 

Q「7日から14日までの一週間、何回審査したか」 

A「ノーコメントです」

 Q「審査の中身を聞いているのではない。審査した日時くらい教えてもいいのではないか」

 A「審査に関することは、一切、ノーコメントです」

Q「会議録はあるのか」

 A「ありません」

 Q「会議をしたという証拠もないというわけだ」

 A「ノーコメントです」

 Q「法律の専門家でも膨大な資料を解析するには年内いっぱいかかるといわれている。一週間でどう説明したのか。また、素人の審査員は理解出来たのか。補助員が、ある意図をもって、審査員を誘導することも可能なのではないか」

 A「ノーコメントです」

 Q「審査した場所は」

 A「検察審査会の建物の中ですが、会議室名は教えられません」

 Q「補助員が決まるまで、職員が審査員の審査の手伝いをしたのか、それとも、審査しなかったのか」

 A「ノーコメントです」

 Q「平均年齢は、前回34.2歳、今回は30.9歳と、非常に若い。何か作為があった疑いも感じられる」

 A「偶然の一致です」

 Q「小沢さんの弁護士は、議決には重大な瑕疵があると指摘している。承知しているか」

 A「書類は東京地裁に送付したので、争いがあれば、公判でやってもらいたい。我々は審査員が作成したものを、誤字脱字をチェックするだけだ」

 Q「職員は審査に陪席するのだろう。(『陪席する』とのこと)。誤字脱字をチェックする以上、作文は読んでいるはずだ。であれば、作文に際し、審査の対象になっていないものを、潜り込ませることは出来ないと、助言しなかったのか」

 A「我々は審査員の作ったものを、誤字脱字をチェックして了承し、受け取るだけだ」

 Q「会議録も記録もない。これでは会議を開いた証拠もないし、まともな審査が行われたという保証もない。11人の審査員は幽霊かもしれない。平均年齢だけを公表したのは、勘ぐれば、審査員は幽霊ではないということを示す小細工かもしれない」

 A「そんなことはないと思う」

  6日付の読売新聞によると、検査会関係者は(注:非公開と言っていながら)「吉田繁実弁護士は、暴力団内部の共謀の成否が争点となった事件など2件の判例を審査員らに示し、『暴力団』や『政治家』という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい、と説明した」という。もし、これが事実であるならば、審査そのものが根本から歪められていることになる。朝日ですら、8日付の社会面で、1974年に発生した「甲山事件」──(知的障害児施設で園児2人が死亡し、女性保育士が殺人容疑で逮捕されたが、不起訴になった。それを不満とした関係者が検察審査会に告発し、裁判になった。彼女の無罪が確定したのは、事件発生後25年経った1999年である)──を取り上げ、「感情先行 危うい判断」と書いている。にもかかわらず、朝日は、5日の社説で審査員を「世の中の代表」と持ち上げている。 

 「ふざけるな」である。私は、吉田弁護士や審査員を「世の中の代表」とは思っていない。検察やマスコミにそそのかされた「自立心」のない、度し難い「愚民」だと思っている。

 「戦前・戦中、軍部や特高の手先として生きながらえてきた朝日」には分からないかもしれないが、今回のやり口は、日本の民主主義に致命的な打撃を与えることにもなりかねない。それは、「国策捜査」の非難をかわすため、「市民」を名乗る「世の中の代表」を使い、検察審査会を悪用し、権力に都合の悪い者を抹殺する手段を学習・実践したのだ。 

 脳学者の茂木健一郎氏は7日、「ある人が検察審査会のことを戦前の『特高』と『隣組』がいっしょになったようなものだと言った」とつぶやいている。「民主の仮面」をかぶった「世論ファシズム」が、その正体を現し始めたのだ。その先導役が、戦前・戦中と同じ、「朝日」である。(注:『隣組』とは「助け合い」を装った「軍事」政権批判を封ずる相互監視・密告システム)。

  10月6日の朝日の夕刊の、告発者「真実を求める会」のインタビュー記事は読むに堪えないシロモノだ。5WとHのない、まことに奇妙な記事である。おそらく、何らかの意図をもった上層部の指示で書かされた、でっち上げの架空のインタビューだろう。朝日は、かつては日本共産党の伊藤律氏、数年前には田中康夫氏との「架空のインタビュー」をした前科がある。インタビューの捏造は朝日のお家芸だ。

 私の学生時代。朝日を読み、朝日ジャーナルを小脇に挟むのが、知的センスをひけらかすファッションだった。今は違う。紙面の質的劣化は目を覆うばかりだ。

 世界が未曾有の危機に直面していることは論をまたない。とりわけ、経済面での相互依存関係を強めている米中は、それぞれが経済破たんの要因を抱え、そのことによって、世界は破局への坂道を転げ落ちる恐怖におののいている。一方、中ロが接近し、東西冷戦構造的なものが出来つつある。その米中が南沙諸島など東南アジアで覇権争いをしている。この巨大ビルの谷間に埋没しかねない日本には、「小沢潰し」にうつつを抜かしている暇はない。

 40年前、田中角栄はアメリカの意向を無視し、国内の右翼勢力の反対を押し切って、日中国交正常化をした。そこには、40年、50年後の日本を見据えた政治家としての洞察力と中国に潜在する「巨大市場」を見抜いた実業家・田中角栄の、したたかな打算があった。それまでの、経済官僚出身の総理大臣たちでは想像も出来ない発想と行動力だ。

 党首選で小沢一郎は円高の利点を生かし、20兆円、30兆円規模の資源外交を提唱した。小沢の大胆な発想と強靭な意志、行動力こそ日本にとって必要なのだ。菅総理や仙谷官房長官が、歴史に名を残したいのであれば、ちっぽけな自尊心やさもしい権力への未練をかなぐり捨てて、小沢の力を100パーセント活用すべきだ。

投稿者: 二見伸明 日時: 2010年10月12日 11:21

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