先日、小長谷正明先生から岩波新書の新刊が送られてきた。彼の叔父が侍従長の要職を務められていたことは聞いてはいた。興味あるかたは是非、読んでください。
「医学探偵の歴史事件簿 (岩波新書) 小長谷正明著」
歴史を動かした病気の謎を解く
最初にお原稿をいただいたとき、一気に読んでしまいました。古今東西、ヤマトタケルから平成侍従長、ツタンカーメンからケネディ大統領まで、歴史を動かした人物の行動が医学の目から語られます。さまざまな資料の研究がおこなわれていて、DNAサンプルから決定的な事実がわかることにも驚かされます。
ずらりと著名人が並んでいる中で、著者の近親が登場するエピソード(第II部の3と5)は貴重なオリジナルです。
旅のお供や通勤電車のリフレッシュにお勧めします。病院の待合室にあったら読みふけってしまいそうです。
(新書編集部 千葉克彦)
■著者からのメッセージ
本書は、書物の渉猟や街並みの徘徊でふと心に留まった歴史上のエピソードを、医学の目を通して見た26篇の事件簿である。歴史の流れの底には、常にその時代の医学・医療の状況がある。また、権力者の病気が、歴史を変える大問題であったこともあった。
第I部では、ケネディ大統領ら20世紀後半の政治家たちのほか、ヒトラーやスターリンの行いと医学医療の問題に着目する。第II部には、近代日本の流れにまつわる医学的なイベントを紹介し、昭和天皇の最期をみとった侍従長からの聞き書きも含めた。第III部は疫病との戦いや医療の発展に貢献したユニークな人々を紹介する。
近年はDNA解析により、歴史上のミステリーが解明されたり、新たな疑問もわき上がったりしており、第IV部ではフランス革命の孤児ルイ17世、ロシア皇女アナスタシアたちの医学的決着など、王様たちのメディカル・ヒストリーを紹介する。さらに第V部では、古代エジプトのツタンカーメン王のほか、『古事記』や『吾妻鏡』などから、遙か歴史上の人物の病気も推理してみた。
折々のエピソードにふれながら、歴史を医学の立場から語ってみたい。
■著者紹介
小長谷正明(こながや・まさあき)1949年、千葉県に生まれる。1975年、名古屋大学医学部卒業。1979年、名古屋大学大学院医学専攻科博士課程修了。専攻は、神経内科学。現在、独立行政法人国立病院機構鈴鹿病院長。医学博士、神経内科専門医、認知症学会専門医、内科学会認定医、名古屋大学医学部併任講師、藤田保健衛生大学客員教授、愛知医科大学客員教授。
著書に、『神経内科』『脳と神経内科』(岩波新書)、『脳のはたらきがわかる本』(岩波ジュニア新書)、『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ロ-マ教皇検死録』(中公新書)など。
■目次
はじめに
第I部
二十世紀世界史の舞台裏
1 ケネディの腰痛―最年少大統領の悩み
2 隠蔽された炭疽菌事件
3 レーガン大統領のアルツハイマー病
4 総統の手の震え
5 動物園通り4番地―障害者安楽死計画
6 スターリンと医師団陰謀事件
第II部
近代日本史の曲がり角
1 明治天皇と脚気病院
2 二・二六事件と輸血
3 終戦時厚木基地反乱事件―首謀者のマラリア発作
4 三島由紀夫の筋肉
5 宮内官は語らず―昭和天皇の御不例
第III部
医学を変えた人々
1 恐竜から神経難病まで―パーキンソンの知られざる貢献
2 新大陸バイオテロと種痘ミッション
3 ランプとハンマーの貴婦人―ナイチンゲール
4 狂犬病との闘い―ギヨタンとパスツール
5 キュリー夫人の黒い車―X線を野戦病院へ
第IV部
王と医師たち
1 怒れる国王ジョージ3世
2 ルイ17世の心臓
3 ヴィクトリア女王の無痛分娩
4 皇女アナスタシアの青い血
5 ジョージ5世の安らかな最期
第V部
いにしえの病を推理する
1 ツタンカーメンの杖
2 鈴鹿に逝きし人―倭建命(やまとたけるのみこと)
3 すわ鎌倉―源頼朝の落馬
4 「神の声」を聞いたジャンヌ・ダルク
5 ハプスブルグ純系王朝
あとがき
参考文献
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1402/sin_k757.html
http://news-japan.jugem.jp/?eid=190
昭和天皇と天皇陛下の2代にわたって侍従長を務めた前宮内庁侍従長の山本悟(やまもと・さとる)氏が17日午後3時50分、肺炎のため東京都千代田区の三井記念病院で死去した。81歳だった。
東京都出身。自宅は東京都荒川区南千住8の6の4の1101。通夜は21日午後6時、葬儀・告別式は22日午前11時、東京都台東区上野公園14の5、寛永寺輪王殿第1会場で。喪主は長男、裕(ゆたか)氏。
昭和23年、東大法学部卒。旧総理庁に入り、徳島県の副知事や旧自治省の官房長、同財政局長などを経て、53年から宮内庁次長。
10年間務めた後の63年4月、故徳川義寛氏の後を受けて戦後6代目の侍従長に就任した。
「奥」と呼ばれる侍従職の最高責任者として公私にわたって天皇家の補佐にあたり、昭和天皇の100日余りに及んだ闘病生活を見守った。
また、崩御直後の平成元年1月からは天皇陛下の侍従長も務め、「大喪の礼」や「大嘗祭(だいじょうさい)」「即位の礼」など昭和から平成にかわる際の重要な儀式を取り仕切った。
戦争に関する「お言葉」が注目された天皇、皇后両陛下の中国ご訪問や米国ご訪問などにも同行した。
8年8月、故秩父宮妃勢津子さまの1周年祭から帰宅後、一過性脳虚血で倒れて入院。
脳梗塞(こうそく)となり、同年12月、渡辺允現侍従長に後を託して退任し、その後、入退院を繰り返していた。
9年に勲一等瑞宝章を受け、車いすで出席した皇居での勲章親授式の後には、陛下から「体を大切に」と温かいお声を掛けられた。(2006/12/18 08:14)
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