20世紀に生まれたことば


2000年10月17日

20世紀に生まれたことば(新潮OH!文庫)

 この本は新語・流行語で振り返るこの100年という副題が示すように、その年にはやったことばが書かれている。これを読むと、昔の記憶がよみがえってきて、1冊備えておいて損はしない本である。

1962年(昭和37年)
キューバ危機:アメリカとソ連が核戦争の瀬戸際までいった事件だが、尾鷲中学校の社会科の山中先生が授業中に核戦争が起こるかもしれないとしゃべりはじめたが、僕は中学1年だったので、よく理解できなかった。この先生は水泳が得意であったが、しばらくして教え子と結婚したそうだ。何年か前の田舎の新聞を読んでいたら、尾鷲市の教育長になっていた。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=162563

キューポラのある街:吉永小百合主演の映画で中学からの推薦映画であったので、見に行った。文部省推薦映画で、この映画を見て、僕は彼女のファンになってしまった。そのころ、浜田光夫との共演映画をたくさん見た。外国映画の推薦もあって、ほとんどが西部劇だった。西部劇では、必ず一人だけグラマーな(今はこのことばを使わないかもしれないが)美人女優が出演していた。

http://homepage3.nifty.com/fwhj5337/

 1965年(昭和40年)オバQ:高橋尚子さんのニックネームのQちゃんはオバQから由来する。会社の陸上部の新人歓迎コンパでアルミホイールを体にまいてオバQのまねをしたそうだ。この年からオバケのQ太郎がヒットを始めたそうだ。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3218/q.html

 

 1967年(昭和42年)
ボイン:大橋巨泉が朝丘雪路を冷やかして使ってから流行したが、現在、使用されている巨乳や爆乳ほどではなく、単にバストが大きいこと。「11PM」ではやったが、この番組は低俗番組と言われたが、僕の好みの番組だった。

 1968年(昭和43年)
タレント候補:僕が大学に入学した年だが、この年には、石原慎太郎、青島幸男、今東光、大松博文、横山ノックらが当選した。現在、非拘束名簿式が問題になり、この制度が実現したら、タレント候補さがしが盛んになる。小出監督の名前を取りざたされている。参議院議長のあっせん案が受け入れられるかどうか、予断を許さない。

 1972年(昭和47年)
あさま山荘事件:2月19日に連合赤軍があさま山荘に管理人の夫人を人質にして篭城した。この日は1時限目が法医学の講義で講義に出かけたら、出席している学生が僕一人であった。大矢助教授と話あって、休講になった。早速下宿に帰り、人質救出作戦の生中継をテレビで見たが、すごい迫力だった。この事件で機動隊員2人、民間人1人が死亡した。

http://blog.with2.net/link.php/36571

 

 

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20世紀に生まれたことば への1件のフィードバック

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