手塚治虫の冒険-戦後マンガの神々


夏目房之介の『手塚治虫の冒険-戦後マンガの神々』(小学館文庫)

僕と同じ年に生まれたマンガ家・コラムニストである。マンガと共に育った大人たち必読の、初の本格的「戦後マンガ史」研究書と宣伝されているように、なつかしいマンガがいっぱいとりあげられている。僕は以前にも述べたことがあるが、手塚マンガのファンで、大学院時代に彼の漫画全集が発刊された時、毎月、定期的に購入していた。

手塚マンガのライバルたちもとりあげられ、福井英一の『イガグリくん』や白土三平の『忍者武芸帳(影丸伝)』が特に検討されている。後者のマンガでは夏目も書いているが、やたら、女性が裸になり、エロチックだった。忍者物では、『伊賀の影丸』もよく読んでいた。60年代は水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』が始まった。手塚の『ドロロ』と言う作品は僕が高校生の時のものだが、百鬼丸という青年が主人公だった。前者が少年マガジン、後者は少年サンデーで、水木との対抗上、手塚は書いたのではないかと、夏目は推測した。

『火の鳥』の『鳳凰編』では、我王という主人公が最後には仏像をつくっていく。もう一 人の主人公である茜丸という仏師が登場する。茜丸は苦労・挫折を体験しながら、自分の表現を完成して有名になり、天下一の仏師になるが、我王の原初的な形での表現と対比され悩んでいく。

大友克洋のまんがも言及されている。大友は70年代には物語を解体する方向で作品をつくっていった人で、80年代には表現を再構成して物語へ向かい、『童夢』から、『AKIRA』という作品が生まれ、日本の戦後マンガは、このあたりで絵が変わってしまったと夏目は述べている。

 『ネオ・ファウスト』が朝日ジャーナルという雑誌に死ぬ前年の1月から連載されたが、未完に終わった。この作品は、初期の『ファウスト』が子供向きに書かれていたが、この作品では、現代、過去、未来へと物語が進むのであるが、途中で中止となり、残念であった(最近、ドラマ用のシナリオ(だったかな?)が見つかって、その結末がNHKで放映されたことがある)。

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PS: 『三つ目がとおる』や『ブラック・ジャック』もよく読んでいた。

 

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