葛原茂樹教授を偲ぶ


三重大学と共に歩んだ18 年
葛原茂樹

https://www.medic.mie-u.ac.jp/igakubu_news/pdf/159.pdf?fbclid=IwAR3T-urf_dWiGFhhcPizQwS-4J_i388OKH2PFo-8FVFHEomwyHnDe_Yc-ag

-教室づくり、人材育成、地域医療、牟婁病研究、病院長など-

<三重大学神経内科学教室の基本理念>
(1)日本全国で通用する優秀な神経内科専門医
の育成
(2)臨床と地域性を重視した独創的研究
(3)三重県の神経内科医療の充実・整備

教員ポストを増やすには実績をあげて宣伝するこ とが大事だと、病院長や先輩診療科で苦労された 名大や金沢大の教授からお聞きしたので、毎年の 実績を年報にまとめて文科省にも送りました。そ の甲斐あって、7年目に助教授、9年目に講師が つき、設置認可から10年目の1999年に晴れて講座に昇格しました。講座昇格が本決まりの時に助手増員希望の理由として「三重大医学部は全国最小規模で教員数が少なく、他の講座からの流用は不可能なので、文部省からの純増のみが頼りである」 と書いたら、事務部は仰天してもう少し穏当な理由を書くように指示されました。しかし、「ありき たりの理由より現実そのままを言うのが一番説得 力がある、どうせ駄目元なのだから」とこのままで出したところ、本当に助手1名が増員され、事務部はびっくりしていました。教員総勢7名で他の臨床講座よりは小規模でしたが、やっと半人前 から一人前に成長できました。なお、年報発行は以来17年間続いています。 研究室確保はなかなか厳しく、総合研究室や他講座の空き部屋を転々としながら少しずつ整備し て貰い、2006年3月、開設16年目にしてやっと先端教育研究棟に教授室、教員室、研究室が揃った 約300の講座研究室を整えていただきました。 「流浪の民」と揶揄された通り、研究室の引っ越しは小規模なものまで含めれば13回、教授室だけでも今が4カ所目です。研究室の引っ越し回数で は、おそらく私は全学でトップです。
→流浪の民!

私は今の医学部では最年長に属します。老婆心 と思いつつ、若い諸君の参考になることを期待し て、最終講義で、私自身の経験から得た教訓とモッ トーとしている言葉を申しあげました。それらを 再掲させていただきます。

<学生と若い医師・研究者諸君へ>
■信念を曲げない、権威に屈しない、長いものに 巻かれない
■頑張り過ぎない、欲張らない
■先のことを考えない、今を一生懸命に生きる
■若い時は楽をしない
■武者修行し、他人の釜の飯を食い、友人を増やす
 ▷機会があれば未知の新しい職場へ
 ▷異質の人から学ぶ(まねぶ)=真似ぶ(まねぶ)

■与えられた部署で誠実に役割を果たす
 ▷年齢と経験、立場・職責に応じた働きをする ■頼まれたことは断わらずに引き受ける
 ▷患者、同僚、上司から「頼まれる」=「頼りになる」と見込まれたことである

<医師としての生き方と目標>
■患者さんの訴えが一番大事=主訴は一番鋭敏な マーカー
■患者さんが診察を受けてよかったと思って帰っ ていただく医療を心がける
■五感を養い、自分の頭で考える 事実と目の前の現象に対して謙虚になる
■権威者に盲従せず、他人の言を鵜呑みにせず、
常に自らの頭で判断する
■典型事例に精通する→ 医学上の新発見は「違い」を感知することから生まれる
■誤診例、重要例は必ず報告する→ 論文にする
のは個人の経験を万人の知的財産に変えること
■臨床の場では常にsomething newに注意を払い、
■scientific clinicianを目指す
■「長」がつく職になったら部下を鼓舞し育成するのが大事な職務のひとつである
■論文を書きなさい、その努力を怠る者は廃れて
行くのみ(Publish or perish!)

<最後に学生諸君と若人へ>
■君たちの可能性は無限大です!
■奉仕の精神と高潔な志を持って高く大きく飛躍してください!
■Bon Voyage!
(2007年7月)

追悼文
葛原茂樹先生から教わったこと
小久保 康昌

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnt/39/3/39_111/_article/-char/ja?fbclid=IwAR1bTHYM8GHwN15NVzt3_jBJB1-TDL5CRgMbGJDI9kDgrx8KJ1pPNhSG9gs

追悼文
葛原 茂樹 先生を偲んで
水澤 英洋

https://www.jstage.jst.go.jp/article/clinicalneurol/62/4/62_62_4_memorial1/_article/-char/ja/

“Endemic paraplegia of Koza in Kii” in Honcho Koji Innen Shu published in 1689 is probably the earliest description of amyotrophic lateral sclerosis of Kii Peninsula: Presentation of the original and investigation of factuality
Shigeki Kuzuhara

https://www.jstage.jst.go.jp/article/clinicalneurol/61/12/61_cn-001688/_article

http://blog.with2.net/link.php/36571
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